仮面ライダーガッチャードとごはんの話


○まえがき


「フード理論」という考え方がある。
福田里香氏という料理研究家は物語の中で食べ物の持つ役割を、「フード理論」と呼び分析をしている。
簡単に言えば、食べ物を扱う描写などで、キャラクターの持つイメージや置かれた状況を表現することができる、という考え方である。
詳しいことはぜひ氏の著書である『物語をおいしく読み解くフード理論とステレオタイプ50』を読んでもらいたい。
この「フード理論」だが、三原則が存在する。

①善人は、フードを美味しそうに食べる。
②正体不明は、フードを食べない。
③悪人は、フードを粗末に扱う。

以上三点をまとめ、「フード三原則」と呼ばれている。

仮面ライダーガッチャードは、この考え方が、気持ちよく当てはまる作品であると私は考えている。
ステレオタイプ(この場ではみんながある程度同じように想像するもの、のような意味)を押さえつつ、物語を進めるなかである一定のルールが存在し、そのルールも視聴者になんとなく伝わりやすい。
これは仮面ライダーガッチャードが好きなオタクで、物語の食べ物描写が好きなオタクが、あまりにも好きな食べ物描写が多いので語りたくなってしまった、そんな長文である。

前提として、私は別に心理学や物語に関する学問の専門家ではない。
読み解き方になにか違和感を感じても、私とは違う解釈をした、というだけで安心してもらいたい。
また仮面ライダーという作品自体、一年以上かけて、撮影をしながら作品を組み立てていく作品である。
設定が途中で変わることはよくあることなので、ここにおける読み解きも、全て31話視聴時点のものである。
これからの齟齬については仕方がない。
一応、物語上でのことだけを語る上で、公式HPでの制作陣の発言、東映特撮ファンクラブ(TTFC)で視聴可能なオーディオコメンタリーでの発言から得られる情報は極力省いている。
特にTTFCは有料コンテンツでもあるため、裏話等が気になる方はぜひ、自身の目で確かめてほしい。

書いている私自身の趣味嗜好が大いに影響している文章になる。
何度も書くが、「仮面ライダーガッチャードが毎週楽しくて仕方ない。キャラクターたちがごはんを食べてる時の描写が特に最高だ!そのシーンが語っている情報量がすごい!」と興奮したオタクの文章だと思って読んでいただきたい。

ここから先、仮面ライダーガッチャードの31話までのネタバレが出てくるので、避けている方はその点も注意してほしい。

 

○フード三原則をガッチャードにあてはめてみる


まずは前書きであげた、「フード三原則」をあてはめてみたい。
分かりやすいのは「③悪人は、フードを粗末に扱う。」ではないだろうか。
仮面ライダーガッチャード」は未就学児童も見る番組である。
そもそも食育の観点から、食べ物を粗末に扱う描写が少ない。
「ガッチャード」で言えば、19話に登場するマルガムだ。
グリオンが作り出した悪意の塊であるそれは、人形から人の姿を得た瞬間から手を使わずに肉を貪る。
その後、マルガムの姿を得た後、宝太郎が作った「シュー肉まん」を一口食べ、放り投げる。
マルガムが敵=悪人であることは、こうした食べ物のシーンがなくても視聴者には分かっているのだが、この時点で他に誰も(グリオンや冥黒の三姉妹ですらも)このような食べ物の扱いをしていない。
とても分かりやすい、悪人としての描写である。
ただし全体的にこのシーンはコミカルな場面なので、悪人の描写の意図は低いと考えられる。

むしろ、③の原則の逆用し、悪人ではないことを示したキャラクターの場面のほうがおもしろい。
6話冒頭、スパナがキッチンいちのせに現れ、宝太郎の手料理を食べるシーンである。
口では「恐ろしくくまずい。食えたもんじゃない。」と言いつつ、がつがつと料理を食べきる。
食べ終わった後の皿はきれいで、ナイフとフォークも揃えてある。
食べ物を粗末に扱わず、残さないだけで、彼は善人であると、視聴者に印象付けている。
もちろん番組の性質上、食育という観点からメインキャラクターが食べ物を粗末にするような描写は極力控えたいだろう。
しかし「食えたもんじゃない」と言ったあと、宝太郎の料理を残したまま、キッチンで自分の料理を作り、宝太郎たちに振る舞う、という流れも物語上可能ではあるのだ。
6話時点のスパナは、宝太郎の仲間とは言いがたいし、ミステリアスな部分を強調するなら「フード三原則」の②「正体不明は、フードを食べない」にもあるように、ほとんど食事をしないという手もあった。
視聴者からすると疑似ライダーとして変身をしマルガムと戦う、ヒーローサイドの人間であり、スパナが宝太郎の料理を完食せずとも、スパナを悪人だとは思わない。
しかし、あえてここでスパナに料理を完食をさせることで、彼の善性が明確になり、かつ『宝太郎の料理を食べた人』になることができる。
『宝太郎の料理を食べた人』については後に改めて語るが、6話全体を通してスパナがどういう人間なのかを描写しようとしたことが、食事シーンからも読み取れる。
実際、スパナが宝太郎の料理をどう思ったかについては、実はTTFC限定配信のオーディオコメンタリーにて、スパナ役の藤林さんが語っている。
これもぜひ、視聴して確認していただきたい。

さてものすごく簡単ではあるが、「フード三原則」を「ガッチャード」に当てはめてみた。
こういう感じのことをこれから語っていきたい。
ここからは、「フード三原則」を踏まえたり、飛び越えたりしながら、食べ物のシーンについて気が済むまで語っていきたいと思う。

次は思わせ振りに強調した『宝太郎の料理を食べた人』に関して、スポットを当てて、語っていきたい。


○宝太郎スペシャルはいつ、誰が食べたか


仮面ライダーガッチャード」の主人公、一ノ瀬宝太郎は家が定食屋をやっており、彼の物語はキッチンで自分のお弁当を作っているところから始まる。
宝太郎の料理はけして上手とは言えず、奇抜な発想で食材を掛け合わせ、食べる人が素直に美味しいと言うような出来映えではない。
この設定は料理と錬金術の腕前をイコールとして、宝太郎は突拍子もないアイディアの持ち主で、かつチャレンジングな性格ではあるが、その腕はまだ未熟であることが描かれているのだろう。
奇抜な料理を作る分、宝太郎の料理シーンでは、彼が食べ物で遊んでいる(粗末にしている)ように見えないように、丁寧な描写がなされていると思う。
宝太郎は料理を作る立場であるゆえ、自身がご飯を食べているシーンは少ない。
そこで、宝太郎に関しては、彼が振る舞う宝太郎スペシャルにスポットを当てて考えていきたい。

作中、宝太郎スペシャルが最初に振る舞われようとしたのは誰か。
なんとホッパー1である。
1話でホッパー1と出会ったばかりの宝太郎は、自分のお弁当の残りの「きゅうりハンバーグゆず胡椒マヨ」を食べないかと尋ねているシーンがある。
実際、ホッパー1が料理を口にすることはないのだが、振る舞おうとしたことで、すでに大きな意味を果たしていると私は考える。
それは、宝太郎スペシャルを食べる、もしくは食べようとしている者は、宝太郎の仲間であると定められているように見えるからだ。
全てのケミーと友達になる、という大きなガッチャを持つ宝太郎が、作中最初に仲間になろうとするのが、仮面ライダーに変身する際にも不可欠な相棒であるホッパー1であることは、とても自然な流れだろう。

仲間になったので宝太郎スペシャルを食べた、という流れがより分かりやすい人物がいる。
2号ライダーのりんねだ。
二人が打ち解けるきっかけとも言える4話では、冒頭で創作料理を振る舞うからと家に誘う宝太郎に対して、りんねは呆れたような表情を見せるだけだった。
しかし、同じ4話のラストでは、ミナトから場所を聞き、りんねは自発的にキッチンいちのせを訪れている。
ここで宝太郎スペシャルを食べることになる。
互いに認めあった仲間になったので、彼女は宝太郎の料理を口にする。
『宝太郎の料理を食べた人』になるのだ。
この時振る舞われるのが「ニコニコにくにくオムライス九堂スペシャル」である。
余談だが、6話でスパナが紫色のオムライスをかわいい顔付きのうずらの卵をそえて出したのは、こことの対比になっている。
宝太郎スペシャルが緑色で手羽元、スパナは紫色でうずら卵。
出来映えの見え方の差はそれぞれの設定通りなので、見比べていただきたい。
脱線してしまったが、りんねに話を戻そう。
りんねは2号ライダーであり、宝太郎の相棒でもある。
作中で宝太郎スペシャルを最も多く食べる機会があるのも、りんねである。(31話時点)
どれも味の感想は微妙であるらしいが、彼女はけして宝太郎の料理を食べない、という選択をしない。
17話では、錆丸が食べられないといった空気を出したものを、自分が食べようとするほどである。
(実はこのシーンについては、りんねの設定があるのだが、TTFCのオーディオコメンタリーで語られているので確認してみてほしい。)
宝太郎も19話では思い悩むりんねに自分の手料理を食べないか、と提案をしている。
二人がお互いのことを認め、受け入れていることが、食事にも現れている。

次に宝太郎スペシャルを口にするのは、6話での加治木とスパナである。
この二人は少し特殊で、加治木においては物語が始まった時点ですでに宝太郎と友達である。
スピンオフドラマ「仮面ライダーガッチャードVS仮面ライダーレジェンド」での様子からも、定期的に宝太郎の料理を食べている雰囲気がある。
加治木の場合は、もうすでに仲間であると捉えるべきだろう。
逆にスパナについては、この時点ではまだ宝太郎を仮面ライダーとして認めておらず、その後も一貫して仲間ではないと発言している。
6話の食事はあくまでも、スパナが宝太郎との力量比べをした、という描写がメインであると考えるべきであろう。
ただし、前項でも触れた通り、スパナの善人性や今後仲間になる可能性の示唆としては、十分に宝太郎スペシャルは機能している。

メインキャラクターの中で、案外と宝太郎スペシャルを食べることが遅かったのは、蓮華と錆丸の二人である。
この二人は宝太郎・りんねとともに同じテーブルでジュースを飲んだり(7話)、りんねと蓮華がカフェでお茶をしようとしたりする描写(7・8話)は存在する。
しかし、明確に宝太郎の料理を食べる機会は、15話のクリスマスパーティーまでは存在しない。
7・8話はサボニードル回なのだが、この時点で蓮華と錆丸はまだ宝太郎の考えに共感するまでは至っておらず、ケミーに対してドライな考え方を見せている。
宝太郎とこの二人との距離が縮まり、ケミーとの接し方に共通点が見えたのが、12・13話のユーフォーエックス回である。
まず、錆丸がユーフォーエックスに特別な想いがあることが明かされ、宝太郎との心の距離が近くなる。
その次に、相棒である錆丸の命の危機を受け、蓮華もユーフォーエックスに錆丸の気持ちを届けようとする作戦に同意する。
宝太郎の考え方を認めたからこそ、「サビーの思いは私が代わりに伝えたる。」という発言が出てくのだ。
そうした大きな困難を経て、ようやく二人は『宝太郎の料理を食べる人』になるチャンスがやってくる。
実際は、パーティーの賑やかな雰囲気の中で話が進むので、料理を口にしているシーンは存在せず、明確に口にしているのは17話である。
けして敵対関係ではなく、比較的に味方として描写されているキャラクターであっても、なかなか宝太郎の料理を口にすることはできない。

メタな見方をすれば、そもそも決め打ちして出すことしかできないものだとも考えられる。
奇抜な手料理は用意をするのが大変であることが予想されるので、ここぞという時にこの人という人にしか食べさせることができないのかもしれない。

ここまで宝太郎の料理を食べた人について語ってきたが、いつまでたっても宝太郎の料理を食べない人もいる。
宝太郎たちの先生、ミナトである。
先生という立場から、キッチンいちのせに気軽に訪れさせることが難しいのはわかる。
17話から27話までの間、宝太郎たちとは立場を違えていたため食べる機会がなかったこともわかっている。
しかし、31話時点でまだ宝太郎からミナトへ、宝太郎スペシャルを振る舞いたい、というような発言すらない。
現時点、私個人としては、先生はあくまでも先生であり、大人として見守り導く存在であるゆえ、宝太郎たちの仲間という立場ではいので、宝太郎スペシャルは食べない、というスタンスの描写があるのではと考えている。
これは視聴者からすればほぼ仲間であるスパナや鏡花にも当てはまるスタンスだから、との考えだ。
本当にただのファンとしては、ミナト先生にも宝太郎の手料理を食べてほしいと思っている。

さて、この項では宝太郎の料理に焦点を当てて語ってきた。
『宝太郎の料理を食べた人』は、宝太郎の仲間として視聴者にも映っているだろう。
どの料理も効果的に登場していると思っている。
今後、誰が宝太郎の料理を食べるのか、気になるところである。


○スパナと鏡花の食事


さて、次は作中で料理を作るシーンがあるメインキャラクターの一人、スパナを主軸に語っていきたい。
スパナといえば、彼の師匠である鏡花との食事シーンだ。
その回数は31話時点で3回。
実はりんねが宝太郎スペシャルを口にした回数と同じである。(りんねが宝太郎の料理を食べる機会があったのは4回。1回の誤差はクリスマスパーティーである)
脚本では食事シーンの予定ではなかったところが、食事シーンに変わっていたりもするので、同列に語ってはならないが、この師弟の仲の良さ、関係の良好さを表す描写となっているだろう。

特に17話での食事シーンは、スパナが料理を作り、鏡花がそれを食べる。
鏡花は満面の笑みでスパナが作った料理を食べ、美味しいと感想を言い、スパナもそれを満足そうに笑顔を浮かべて見ている。
「フード三原則」に則って言えば、ご飯を美味しそうに食べれば善人であるとされる。
もっとも、そのようなことを知らなくても、あの場面は食事シーン以外でのやり取りからも鏡花の善性は表現されていただろう。
この時点では16話から登場し、スパナの師匠として過去のことも知っていることを匂わされている鏡花は、物語においてまだ未知のキャラクターだ。
視聴者としては、この人はどういう人なのか、と探りながら見ている。
そこで上記の食事シーンを含める場面が入ってくる。
鏡花がどういう人間なのかを視聴者に示す場面において、食事シーンも大きな役割を果たしていたと考えている。

17話の食事で二人が楽しそうしていたことが、21話のラストにもきいてくる。
実際に料理を食べたシーンではないが、鏡花がスパナに料理を作ってほしいと頼む台詞がある。
一度は完全に道を違えることを選択したスパナに対し、鏡花はソファの隣に座り、一緒に食事をしようと提案をする。
これは、鏡花が改めて『スパナの料理を食べた人』になろうとしているのだ。
宝太郎の料理がそうであるように、スパナの料理を食べる人もまた、作った者の理解者であるという表現に取れるだろう。

また、スパナと鏡花の食事に関して言えば、26話でのフレンチを食べているシーンもあげたい。
物語的には、のんきにフレンチを食べに行っている場合ではない。
メタな視点にはなるが、鏡花の「まずいな。」に対しスパナが「お口に合いませんでしたか?」声をかける、この掛け合いをさせたかったから、食事をするシーンになったのではないかと考えている。
この時のスパナがわざわざ「評判のフレンチ」と言っていることも合間って、思わずくすりと笑えるシュールなシーンになっている。
ただし、このような掛け合いならば、鏡花のラボでご飯を食べているだけでも十分に成り立つはずである。
そうしなかった理由として、私は情報が多くなりすぎるからではないか、と妄想並みの考察をしている。
仮に鏡花のラボで食事を取っていたとしよう。
食べるものは、スパナの手料理になるだろう。
スパナの作ったものを食べ、鏡花が「まずいな」と言う。
そうすると、あの料理が上手いスパナが、鏡花にまずいと言わせるほどの失敗をした可能性が生まれてしまう。
それは状況に対し、スパナが大きく動揺している、という風にも見えるだろう。
宝太郎の疲弊がすさまじいことが描写されているため、この二人には落ちついて食事を取れる余裕があると示す意図があったのかもしれない。

もっとも、宝太郎スペシャルのことを考えれば、スパナの手料理を準備するのも手間であるはずなので、省かれた可能性が高いのではないか、とも思っている。

スパナを語る上で、師匠との関係は今後も重要になってくるであろう。
次はどこで何を食べるのか、パクチーは盛られているのか、スパナの次の手料理はどれほど紫色なのかも、注目したい点である。

鏡花については、他の人との食事シーンも多いため、次の項で触れようと思う。


○今後の流れに関わりそうな食べ物の話


現状単発的ではあるが、食べ物にまつわる出来事で今後に繋がると思われるものがある。
特筆したい点は3つだ。

まずは、25話でのミナトの過去を振り返るシーンである。
錫屋が大きな夢をミナトと鏡花に語るシーンでは、中庭のような場所のベンチで、三人は昼食を食べている。
1話から登場するミナトの初の食事シーンでもあり、ミナトが食事をする人間であることがようやく示される。
「フード三原則」の②「正体不明は、フードを食べない」とあるが、ミナトが正体不明なものではなくなったと考えることができる。
実際、私自身、ミナトは名前も思わせぶりだし、(某錬金術師漫画の影響だが)人間じゃないかもしれない、と思っていたので、このシーンの存在によって、急にミナトの人間みを感じることができた。
ミナトは宝太郎たちアカデミーの生徒はもちろん、スパナとも食事を取るシーンはない。
そんな彼が唯一共に食事をし、かつ現在も生きている人が鏡花なのである。
これもあり、大人として仮面ライダーたちを導いていく立場の二人が、少し特別な関係性であることが想起される。
実際27話にて、鏡花の前でミナトはようやく己の感情を吐露することができた。
そんなミナトが次は誰と食事をするのか。
気になるところである。

次は鏡花とラケシスの食事について取り上げていきたい。
31話にて、二人の食事シーンが描かれた。
正確には、ローストビーフ丼を食べているのは鏡花だけであり、ラケシスは「私は何も食べませんわ。」と告げ、食事には手をつけていない。
冥黒の三姉妹が食事を取らない存在である、という設定が示されたシーンだ。
「フード三原則」で言えば、この時点でラケシスは②の正体不明者であり、③に反する悪人ではない存在になる。
ラケシスは箸でどんぶりの中身をつついたり、ほじくったりというような行為はしておらず、食べ物を粗末にしている描写はされていない。
悪人らしい振る舞いはしていないのである。
また、鏡花がここでラケシスと同じ食事を取ろうとしていることにもスポットを当てたい。
冥黒の三姉妹を化物と呼ぶスパナを除き、誰もが彼女たちをグリオンが作った存在であり人間かどうかは判別しきれないが、感情を持って接している。
ラケシスに自分と同じ食事を用意し「えっ食べないの?ダイエット中?」と声をかける鏡花は、彼女をとても人間らしく扱っていると、読み取ることができる。
ちなみに行くところがないから面倒を見てやり、武器を与え、と鏡花はスパナにしたことはほぼラケシスにもしているのだが、鏡花が二人きりで食事をしたのも現状スパナとラケシスだけである。
当初より因縁のある関係のスパナとラケシスだが、こんなところでも共通項が作られているのは非常に面白いと、個人的に思っている。

最後に、食事をしていない人について取り上げる。
仮面ライダーガッチャードにおいて、メインキャラクターで食事に関わっていないのは、アトロポス・クロトー・グリオン・九堂風雅の4人になった。
アトロポスとクロトーはラケシスの発言から、食事をしない身体であると示されたので、食事描写から遠いのもうなずける。
グリオンも悪役であり、正体不明な人間だったことから、食事描写をいれなかった意図もわからなくもない。
問題は九堂風雅である。
りんねの父である彼は1話以降25話まで生死不明であり、26話でまたすぐに物語から退場している。
食事をしている暇がない、と言えばそれまでなのだが、あまりにも風雅の存在が正体不明すぎて、不安になっているのも事実である。
例えば、りんねの過去回想で風雅と二人でなにか食事をしているシーンがあれば、現在の風雅の印象はまた違ったものだったろう。
りんねの過去回想でよく出てくる絵本を読んでいるシーンは、テーブルにろうそくが立っているケーキが置かれている。
おそらくりんねの誕生日ケーキと思われる。
それを食べている、もしくはそのケーキが切り分けられているシーンがあるだけで、食事を連想させられる。
しかし実際は、そのようなシーンはない。
まだこれから続いていく物語のなかで、風雅がどういう立ち位置になるのか、果たして彼は食事をすることがあるのか、頼むからりんねが悲しむようなラストにはならないでくれと思わずにはいられない。


○まとめという名のガッチャードめっちゃおもしろいという話


ここまで、自分なりにできるだけ丁寧に本編を見て、食事にまつわる妄想に近い考察を書いてきた。
甘い考察、妄想が入り交じった、拙い文章であったと思う。
ここまで読んでくださった方には、感謝しかない。

仮面ライダーガッチャード」は数年ぶりに毎週日曜日テレビの前に座り、興奮しながら30分を過ごし(実際は1時間半興奮しっぱなしであるのだが)、その日のうちにTTFCで何度も繰り返し見るくらいには、かなりはまっている。
おもしろいと思う理由はたくさんあるが、そのひとつは間違いなく、丁寧な食事に関する描写だろう。
宝太郎の実家が定食屋であることを活かすため、食事の描写が必然的に増やしたのだと思う。
それでも、誰が誰とどんなごはんを食べているのか、を大切にし、そこから関係性を視聴者に感じさせる描写は、どれも意識して描かれているものであると私は感じている。
これからどんな物語になっていくのか、純粋に楽しみで仕方ない。

こうなってほしい、こういうのが見たい、というオタクらしい妄想はたくさんあるが、食事シーンに関してだけ言えば、宝太郎が仲間だと思うもの全員が、キッチンいちのせに集まり、宝太郎スペシャルを食べるシーンがぜひ見たい。

 

 


余談であり細かすぎるので省いた話。
28話、スターシャイン星野の修行シーンでカップラーメンを食べているシーン。
彼の食器はきれいに空になっている。
他の修行者たちが食べているものを全てきれいに食べきった上で、足りないからラーメンを食べているのだろう。
スターシャイン星野は、ケミーがそばにいてもマルガム化しない、悪意のない人間である。
ただの調子のいい、怪しい人間なのだ。
そういう人は食事を粗末にはしないけれど、食べ方はちょっと独特なんだな、と思った。
キャストの味なのかもしれないが、ゲストキャラにも関わらず、こういうところまでガッチャードはご飯描写が丁寧すぎる。
やっぱり大好きだ。
ありがとうガッチャード。